Photos of NOW KODA PROJECT

#26 「NY 1990」

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"coup-de-pied"の金色のコートです。通りすがりの人に褒められる存在感コート(笑)
そういう時代でした。
dip in the poolの4thアルバム"Aurorae"録音のための滞在時、同行取材兼撮影の女性ライター 伊藤さんの撮影だったと思います。

お世話になっているグラフィック・デザイナーの竹本君が 最近、彼の実家から発掘してきたものです

#25 「秋山計画」 photo 小暮徹/Styling 北村道子/music(!) 細野晴臣

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すべてがケタはずれな雑誌撮影でした。テーマ曲まで作らせたのですから。細野さんに。撮影の過酷さはトップ3に入りそうです。乱暴な時代ですよ。アート?のためには。強風の中、和服で崖に上る。水に入り後ろでは火が燃えさかる(さすがに、このシーンはモデルさんではなかった)「綺麗にうつってたわ」という顔がどうのという撮影ではなく、「スペクタクル感出てる、凝ってる。やった~!」というような誌面ですね。殿ご乱心的な・・・角砂糖でミニチュアのお城を作って、最終的には炎上というドラマチックな仕上げでした。ちなみに私の役名は「鷹くくり姫」でしたね。はは。

いつだったか、小暮さんにモデル仕事について「どうせ思い出でしょ?そのためにやってるんでしょ?」と言われ、「そういうふうに考えたことない」と半ばムッとして答えましたが、こうして書いているという行為は「げっ、思い出になってる・・・?」へへ。


掲載雑誌「流行通信」1984年5月号

Visual Message
第五回 秋山道男
『秋山城の姫々』

作・演出  秋山道男
脚色  上杉清文
音楽  細野晴臣
撮影  小暮徹
衣裳造作・小道具美術  北村道子
美粧美髪  山田公(JET)
立体美術  多田佳人/高原忠彦
タイトル文字  伊達脩治
時代考証・郷土資料  後藤繁雄

クレジットも
なんかものすごい、、、、。

#24 「NY 1993」

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NY Recordingより戻る(写真上)

二度目のリムジンでございます。
ファンの方はご存知の 'dip in the pool' 香港プロモーションの時のもゴージャスでした。

こちらは
ニューヨークでの長い録音滞在終了後、
J.F.ケネディ空港へ向かう時にチャーターしていただいたリムジンです。
(たぶんそれほど高くなかった)

クー・ドゥ・ピエ のサテンコートと
アニエス・ベーのスウェードのパンツ
寂しげな表情には訳があるのです。

とにかく
機嫌悪しw



NY Recording at platinum island studio(写真下)

自分の洋服とソファーの色合いがすごいので
撮ってもらった写真です。

ヨージさんのビッグバード風の黄色のトップスは
大変なお気に入りで
いまだに季節ごとに出すのですが
ほぼ着る機会がなくなっています。

大阪のデプトで買ったと思う紫のリュック。
当時、値切って買うというのが自分としては
流行っていたので
当然のごとく値切ってみたのですが

後から考えると
「貴方は知らないかもだけれど、有名人だから安くしろ」と思われたのでは?
と、ちょっと恐ろしくなった記憶があります。
だとしたらどうもすみません。

買い物=値段交渉から
という図式が成り立っていたので。

脅しになっていたとしたら悪かったです。
反省。

#23 「イケメンな SHINICHIRO ARAKAWA」

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映画出演の都合により、髪の毛は黒染め、眉そりの顔での撮影でした。
確か雑誌のための撮影のヒトコマをスタッフのどなたかが撮影したものかと、、、。
肌の質感が好きでした。
デザイナーの荒川眞一郎さんとは今はない駒場東大の寮で行われた
'SHINICHIRO ARAKAWA' のコレクションに呼ばれたのがおつきあいの最初。

その頃、子育て真っ最中でもあり、ずいぶんショーには出ていなかったので
その体験はとてもすばらしく印象に残っています。
10代のモデルさんと同じ場で共演、仕事ができる嬉しさもあり
また
その場所の独特の雰囲気、映画のような非日常な空気感ー
思いきりその場にひたることが許され自由を感じました。

妄想(イメージ)の中に存在しているような意識。

子供との生活という日常ができてからの非日常ですから
今までとは感覚の振り幅が違いました。

#22「箱の上」 photo Macoto Tezka

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手塚眞さんの写真展で見覚えのある方もいらっしゃるかもですが
こちらはその別バージョンです。

「箱」というテーマに沿って
なんと100人もの女性を撮影。

100人目という節目の撮影がこちらです。
場所は手塚家の裏庭です。

ずっと箱の中で撮影していたので
「外に出てみましょう」となった時の自由さが顔にも表われています。

自由好きだな~

ヘアメイクは手塚監督作品「白痴」で一緒だった小林まさゆきさん

衣裳は私物で、上に着ているガウンは私のお気に入り。
現在のラフなライフスタイル上、ちっとも袖を通す機会がなくていつもぶらさがっていたかわいそうな絹織物、やっと登場。中の青は中学時代の子供から借りたサマー・ドレス。

#22「苦手」

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実に綺麗な写真でした。横浪おさむさんがカメラです。
相方、木村が長らく携帯の待ち受けに入れてました。

うわさ通りに、よかったです。
唯一、うわさと違ったのは相当面白いらしい人柄を封印していたことでしょう。
この現場、苦手だったのでしょうね。

スタイリングは大森ようこさん。なんか素敵な私物いっぱいのファンタジーな方だった!

写真は現場でいただいたポラです。

本の正式タイトル
「渡辺サブロオ メイク本・正統の美学 plus」双葉社 2004年

余談ですが、
本の中に登場する富永民生さん撮影の「ケサラン・パサラン」時代の写真のクオリティが高過ぎてすごいです。

#21「西表」

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’いりおもて’
知らないと読めない地名ですね。

これは車のCM撮影の時のもの。
人があまり入らない地帯へ川からのルート(舟)で
現場へ向かいました。一旦、外海へ出てからの。

川にも通るべき道があることをこのとき知ったのです。

すばらしいロケーションでした。川は黒。空には月です。
おじゃましましたということですね。

今はニューヨークを拠点に世界で活躍なさっている
ヘアメイクの吉川康雄さんが撮影したスナップだったと
記憶しています。

吉川さんとは北京にも一緒に行きましたし
’dip in the pool’のPVでもお世話になりました。

衣裳の上に着ているガウンは私物で
この時期、映画等でも重宝しまくったものですね。
実はまだ持っている気がします、、、

発掘の匂い(笑)

#20「天使?」croissant2007/photo Yukiko Fujioka

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これ
気に入っています。
最大限、私の天使に近いところをひきのばしてくれています。
マジックありがとう。はは。
髪の毛ってふんわりしていると、印象が柔らかくていいな~
そんな感じですね。
女子部撮影会は、いつも楽しい。口々に感想がいっぱいで華やぎます。気分よくなります。

マガジンハウス’クロワッサン’#724
Photo 藤岡由起子/Styling 岡部久仁子/Hair 笹浦洋子

#19「テレカ」photo Sachiko Kuru

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また、発掘してしまいました。
テレカでございます。

小学館「Oggi」です。
当時、雑誌名が
「イタリア語だ~!」と珍しい印象でした。

久留幸子さんカメラ、サブロオさんヘアメイク、桧山カズオさんスタイリングで表紙含め何号か撮影した記憶が、、、

やっぱりゴージャス

それにしても
面白い
テレカとの組み合わせ、、、

#18「集合は原宿ピンクドラゴン」Cosmopolitan UK / photo Norito Yoshimura

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こういった撮影がたまにありました。
海外からスタッフが一人で来日、力業協力撮影。
サブロオさん尽力の富士山ロケ
いろいろと仕切って下さった。
日の光があるまで1日中の撮影だった。

なんか寒かった
みかん箱に乗ったような記憶。
いや
みかん箱ってことはないが
一人だけ
「そこに乗る?」ってとこに
乗った記憶があります。

富士山背景と私の位置の案配上
そんなことに。和風テイストですね。

衣装は確かエディターの
ヴィヴィアンが集めてきたという記憶が、、、

彼女はとても有名なモデルさんだった
というのをその時、聞きました。(流行に疎い)
とても
チャーミングな人だった。

撮影は、 吉村 則人さん

これぞ発掘写真!という感じのレア公開。

#17「那須から来て1カット」 In Red MARCH 2003 /photo Kazuhiro Fujita

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東京からやや遠方に住んでいた時期の、久々のファッション写真撮影だった気がします。
はるばる呼んでいただきましたが、あっという間の撮影で滞在時間短し。
しかし(だから?)時差、空間差のはげしい一日でした。
この時、はじめて出会う若い世代のクリエーター達の熱を感じました。

メイクもほとんどせず、簡単に着て簡単に撮影されました。
「こ、これでいいの?」と時代の進化・変化を感じた不思議で、かつ気分のよい撮影でした。
「あ~、あのフィルムチェンジを何度もする撮影はなくなったのね~」と感慨深く・・・
そんな新しい時代の撮影スタイル体験でしたからよく覚えています。

そして写真もよかった。

「モデルとしての私の捉え方,引き出したいところが今までと違う」というのを感じました。
ふつうに近い。そんな印象。
テンションあがりきらないうちに終わるというような。力抜けてる感じ。
その後、雑誌ではそういう撮影が主流になっていきます。

‘In Red' (宝島社) March 2003 (2002/12/23撮影)
写真は 藤田一浩さん
スタイリング 橋本庸子さん
メイクアップ 茅根裕己さん

#16 「Grandmother」 20,000,000 fragments photo:Yasutomo Ebisu

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けっこう前になります。
ある雑誌創刊の表紙などの撮影ではじめてお会いした戎さん。
「今まで見た事のない甲田益也子が公に」という作品で反響ありました。
撮影後はマクロビオティック・カフェへランチ行きました。
「それ仕事で可能なんだ!時代は変わった・・・」
と思いました。婦人が行くところだと思っていた。

健康関連の雑誌ということもあり編集の方も
自家製発芽玄米で作ったおむすびも持参してくださってました。
レベル高い。

さて
今回の作品はその後再会の別の機会にて。
ファッションブランド「20,000,000fragments」さんのLookbook撮影。
モッズヘアの加茂さんがヘアメイク。ちょっと特殊ですね。
スツール意匠も加茂さんでした。

かなりクリエイティブ担当。

なぜかわたしの子供も立ち会い(見学)
代理人に、「撮影の時はモデルさんは立ちっぱなしだからマネージャーも座らないのよ」
指導されていました。(笑)

時が経つほどに
味が出てくる写真だなと思ってます。

他のバージョンもありますが、当時やりたかったことが最近わかった気がします。

すみません。

けっこう鈍いね。

憧れのGrandmother(from "The Golden Key'" by George Macdonald)という存在に近いのかも、、、

Photo 戎康友 氏

#15 「ATSUKI ONISHI のニット絵本」 photo NORITOYO NAKAMOTO

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メリー・ポピンズの世界で
高度テクニック要するらしいニットのお洋服の数々が載っています。
今回選んだ写真はメリー・ポピンズ?という気もしますが
サブロオメイク炸裂の素敵な80年代ムードですね。

著者のデザイナー、大西厚樹さんにもかわいがっていただきました。
誕生パーティーに呼ばれたこともありました。
贅沢な時代でした。

あるシーズンのショウモデルを頼まれたのですが
地方ロケ撮影が重なってお断りしました。
撮影後、間に合ったので
その仕事で一緒だった大西さんとも仲のよいスタイリストの桧山カズオさんと
そのままショウ会場に行きました。
大西さんからは
「なんだ、来れたじゃないの!」と軽く叱られました。

そんなこと思い出すこの本です。

横浜赤レンガ、西麻布の路地など
国内ながら日本的ではないロケーションにて撮影。

カメラはご本人も素敵な中本徳豊さんでした。

文化出版局 1985年

#14 「犬に育てられた男・平間至氏とはじめて出会う」 photo Itaru Hirama

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現場は夕方の埠頭あたりでしたか。短パン(体操系)にTシャツに眼鏡の「カメラマンなの?」というおじさんがロケバスに入ってきました。それが平間さんの第一印象(すまん)。年齢が私より下と分かり、更に愕然。その格好で高級外車に乗ってきていた。

撮影は面白かったが、ハードでもあった。ギリな年齢だったかも。切羽詰まった感じが欲しかったのだと思うので、そういうディレクションを思いきりしていた。さすが、犬に育てられたという逸話を持つワイルド感。(その件は後の撮影で知ったので、その時はルックスとギャップのある人だな~くらい)。
そういう演出も、そして、衣装もメイクも、出来も実にいい、面白い撮影だった。
その後もいろいろとお世話になりました。ありがとうございます。
何度会っても「私に慣れない」というようなことをおっしゃってましたね。はは。

男性誌の中の女性をフィーチャーするシリーズの8回目に登場。
文章も手塚眞さんに依頼し(編集の菊地さんが)すごくよく書いていただいたもよう。
文章力高い手塚さん。
ただし凝ったデザインで、今のわたしには大変読みにくくなってしまったのが残念、、、

タイトルは「眩暈のする存在感。」でした。(笑)

ミスター・ハイ・ファッション 92年11月号

#13 「スキンヘッドへの道」 SASHU DM 

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映画「ファンシーダンス」で、スキンヘッド(まさに坊主頭ね、剃る)にする時に、当時契約していた化粧品ブランド「ケサラン パサラン」の広告展開で、せっかくだからそのヘアカットの過程を使ってグラフィックを作ろうということになり、ショートヘアバージョンとスキンヘッドバージョンを贅沢にも地毛で行いました。一日で。

私はどうもスキンヘッドにすると和風になるので、洋服が似合っているのか疑問でしたが・・・

一方、同じヘアスタイルでもサッシュのヘアスタイリングのグラフィックの方は、いい感じではないかと思います。生まれて最初のスキンヘッドと映画後の撮影で熟していたという違いがあったからか?いや、数ミリでも毛があるのとないのとでは違うのかも・・・

洋物になっている。

絵はサブロオさんが描いたもの。
撮影はほんまたかしさん。

#12 「台湾VOGUE」

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サブロオさんの紹介で
カメラマンのレスリー・キーと出会う。

栃木在住の時だったので
彼の自腹でセルリアン・タワーに泊めていただく豪華版w

撮影は代官山あたり

これぞお宝発見!的に
小箱にポラがありました。しかもサイン入り。

ていねいな子だな~

終始にこやか+熱エネルギーのある撮影でした。

スタイリングはこちらも初顔合わせのポロンちゃん。

#11「パンク」b

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ヴィヴィアン・ウエストウッドのためのショウでのシーン。

マニア私物によるヴィヴィアンに捧げるショウであったと記憶。
立花ハジメさん、藤原ヒロシくん、高木完ちゃんたちが先頭に
立っていた・・・はず。

とても楽しかった。
デザイナーの片腕のジーンが演出、振り付けしてくれたシーンがあったけど
私とモデルの大谷さんだけ覚えられず、踊れず焦る。

私は舞台上にて着替えという演出の際
例のポックリ厚底靴をはく時間がなくなり
あきらめて持って歩いたり
その場ならではのハプニングもあって

非常に楽しみました。

90年くらいにレコーディングでニューヨーク滞在中のおりに
バスの中で
偶然、花束を手にしたジーンに会い嬉しかったな。
日本では
感じなかったけど
彼はイギリス出身なので当然「イギリス英語」で、
ニューヨークで聞くと
一つの外国語のようだと思いました。

日本でフランス人やドイツ人の知人の英語を聞く分には
英語に違和感ゼロなんだけど
アメリカ、イギリスで聞くと、確実になまっているのが分かるのが不思議。

私はどうなっているのやら・・・
スイス人のピーター・シェラーにわたしの日本語は共通語(TOKYO)と違うと
言われたくらいだからな・・・苦笑

実は私は話す相手の言葉をマネするようなので
イギリス人と話していて(不十分な程度に)
「なぜそんなにクイーンズ・イングリッシュが話せるんだ?」と
驚かれたこともありました。単なるモノマネなんですけどね。
まずはマネからかな・・・(最後まで自分がないタイプとも言える)

#10「ホワイト」Photo ROWLAND KIRISHIMA

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今までで一番気に入っているかもです。
このヘアの感じ。
しかし、もう人工的には二度とできない(わたしてきに)
決死のホワイト。

そもそも
映画(手塚眞監督作品「白痴」)の最後の特殊なシーンで「ヘアカラーを白にしよう!」というリクエスト(オーダー)が美粧の柘植さんよりきまして。
当初の自分の提案の真っ黒染めから白へという極から極へ。
髪の毛自体の生命力が・・・

色は
1日では抜けきらず
2、3日かかっています。

1度目は当時代官山にあったサッシュの大浅くんに
1日がかりで抜き作業をしてもらい

2度目は映画のヘアメイク担当、小林真之さんに
抜いてもらい
最後に
さらにホワイトにすべく色味調整のカラーリング。

お二人とも大変だった~
お疲れさまです。

これは地毛での最後のあがきなので(終了後、リセットの丸刈り)
ホワイトである写真は貴重で
たぶんこの雑誌くらいじゃないでしょうかね
残っているのは。

白にしてみて
この毛色だと洋服が何でも似合うということがわかりました。

カメラはイケメンの
ローランド桐島氏です。
イカす写真です。

当時の掲載誌は
「casa nuova」光琳社

#09「dip in the pool ☆ post card」 Photo Deborah Turbevill

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デビューアルバムのジャケット写真は
当時ヨーロッパのファッション誌で活躍していた
写真家のデボラ・ターバヴィルに依頼しました。

まさかつながるとは!

コーディネイトしている日本人が存在すると聞き
人づてにたどりつき実現しました。

その方はフランス在住で、デボラもヨーロッパかと思いきや
ニューヨーク在住でした。

お二人とも忙しく旅をされているので
連絡もそれほどスムーズではなく
寸前まで本当にアポイントが取れているのか不安な状況でしたが

事前に彼女のアパートで打ち合わせもあり、
また、ニューヨークに当時在住していたヘアメイクの河野ミツルくん
(プラスティックスのチカちゃんの専属ヘアメイクをしてた時期も)から電話があり、
メイクボランティアをかってでてくれました。

衣裳は、スタイリストの桧山カズオさんにスタイリングを頼んで
コム・デ・ギャルソンのものなどを日本から持って行きました。
レコード会社からの予算はなかったので当初はヘアメイクなしの予定。
ということで、サブロオさんからの’口紅=RED’というアドバイスにより、
(後のヴェネチア映画祭の時もそのアドバイスあり)
当時気に入っていた資生堂のインウイのマットな赤色の口紅だけを持ち、
はじめてのニューヨーク強行ロケへと出発しました。

ロケはデボラの(事務所)仕切りで
ニューヨーク市のある建物を一日借りて
決められた時間通りに撮影しました。(時間管理もちゃんとしていた)
お昼にはオーガニックなケイタリングをちゃんと用意してくれていて、
一歩先行くニューヨークを感じました。
つまり、はじめてのアメリカで右も左もわからない日本人ふたり非常に助かるの巻でした。

当日、メイク中に、持参した口紅をミツルくんに渡して
「今はこれよねっ」って、二人で盛り上がったのですが
メイクの出来上がりを見たデボラが「赤い口紅はミステリアスじゃないからやめて」と、、、
案が一蹴されたというオチついてます。(笑)

彼女が当時よく使っていた手法の画面に水滴がしたたっている写真が好きで
また非常に'dip in the pool'らしいと思っていたので、
リクエストし、それが叶ったものです。
デボラはその時、淡々と「あ、そう、じゃ、やりましょう」というような
感じですぐに対応してくれました。

紳士的なアシスタントの好青年も印象的でした。

「これはもうあなたたちのものよ」と言って渡されたポジを受け取り
夢のようなNY撮影強行ロケより帰りました。
その間にアメリカンVOGUEの編集長に会うようデボラから指令があったり(笑)

帰国した後、ミック板谷さんのアートディレクションに託しました。

ミックさんにも「dip in the pool 受けてくれるのかな~?」なんて
ドキドキでコンタクト取ったのを覚えています。
おおがかりに人を仲介して・・・確か後藤繁雄さんがついて来てくれた。

今、思えば
けっこうな勢いをつけて
のぞんだデビューですね。

いまさらながら(これが多いな~)
関係してくださった
みなさま
ありがとうございました。

*写真はレコードジャケットではなく
レコードに付けたポストカードヴァージョン。

#08 「やや子象」

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乃木坂路地を歩いて象がスタジオ入りです。
これはもう象中心の撮影だったという記憶が。
動物と一緒の時はそうなります。
タイ人の象使いの人が通訳でした。
象見たさに、関係ないのに
友達2名来ました。興奮してました。

何かの
新聞広告だったという記憶が・・・
分かり次第フォローします。

でも、なぜ象だったのか不明?

写真がうすく消え入りそうな理由は
その時いただいたポラロイドだからです。
はじめからセピア調ではありましたが。

30年くらい前のことかな?

はは~

#07「イギリスの雑誌・BLITZ」

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フランス人カメラマンDidierさんが来て
確か原宿あたりでゲリラ撮影。

スタイリストのはたさん、ヘアメイクさん
通訳かねてたモデルのアネット。アンニュイな小泉かおるちゃん。
モデルのお二人ともanan時代に知り合って
アネットには、初期の私の英語の歌詞のチェックなどもお願いしたことがあります。
とてもフレンドリーで賢い人でした。のちにカメラマンに。
現在はごめんなさい、分かりません。

衣装は林和子さんのクー・ドゥ・ピエ。
みんな協力の撮影でした。

今、切り抜きを見ると
「tokyo DREAMS」というタイトルで
やっぱり外から見たtokyo色が出ているような気はしますね。

私は一番好きかもしれない
スキンヘッドの次に短髪のひよこヘアーの時ですね。
友達のヘアデザイナー佐藤寛ちゃん作です。


#06「菅付君渾身の雑誌・Composite」 Photo Hirohisa Nakano /vol.3 2005 april

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dip in the pool デビュー時からよくインタビューやライブにも来てくれていて、
今も続いて見守ってくれている熱血編集者、菅付くんの刊行していた雑誌の1ページです。
都内各所を転々としている菅付事務所ですが当時は渋谷でした。
撮影で行ってみたら、ニューヨークにありそうなオフィスになっていて(私の主観)
オーガニックなケータリングなんか用意され「いまな感じ、大人になってる!」(知り合った時の彼はまだ学生だったので)
と思ったのを覚えています。
(わたしは、当時地方から撮影のためだけに都会にやってきていた田舎のねずみ)

で、この写真は、出来上がりを見て実は驚きで。
というのもカメラマンの方とあまり意思疎通ができていなかったような気がしていたからです。
私を被写体として良いと思える感覚あるかな?(世代ギャップありすぎて)と不安があったのです。
そうしたら、ピュアーな部分を捉えていて。
少年のような・・・(とは、よく言われてきた。無理あるが、いまだに言われることも)
超ラッキーな写真でした。
さりげなくきれいで。
大変ありがたい。

#05 「香港ロケ」 雑誌「anan」1984 NO.419

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今は世界的なカメラマンになった七種くんに私が最初に会った時、彼はヘアメイクでした。
香港ロケで都内から一緒にタクシーで成田に行きました。
年齢が同じで話しやすくて、いいコンビで大変楽しい旅でした。
オフの時なんか、二人でまったく知らぬ土地へバスを駆使して冒険に行きました。

メインのファッション撮影はシンプルな衣装に、ヘアスタイル勝負でした。
思いっきりワックスを頭につけて、彫刻よろしくかたちづくりました。
それがカッコイイこと。
素手のみの動きで髪の毛もいい具合にウェイブができて魔法のよう。
メイクは自前でファンデーションのみでしたが、はじめてヘアデザイン(スタイリング)の「才能あるな~」と思った人です。(主観)
しかし、後にカメラマンとしてもっと才能開花させてますけどね。

活気あふれる香港は、はじめての旅でもありました。この時の印象がよくその後も訪れています。
撮影は社員カメラマンの内藤さんです。よくananにてお世話になりました。
スタイリストの一戸さんも同い歳で、最初に会った時にはアシスタントでしたが、この時は独り立ち。
静かな落ち着いた安心感のある人です。なぜか縁があり、のちに一緒のグループでF1鈴鹿GP観戦にも行きました。
時代ですね~。

#04 「Peak Cafe」 1990 at Hong Kong

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今回の写真についてはご存知の方も多いのではないかと思われます。(気のせい?)

dip in the pool香港プロモーションの際のミニライブの模様です。
ビデオ映像からの出力写真なので画質はこんな感じです。

香港では熱烈な歓迎を受けまるでスターのような扱い。
テレビ、ラジオ、雑誌取材そしてミニライブとリムジンで移動しながらの(さすが香港)プロモーション活動でした。

思えばそこから"Peak"(dip in the pool アルバム 'Auroae' 収録曲 )という歌が生まれました。
(香港のヴィクトリアピークにあったカフェ)

香港+日本のWEAの皆さん大変お世話になりました。
ありがとうございました。

ゴージャスな時代ですね。

帰りの空港では手荷物超過で困っていたわたしの帽子の箱の件で
通りかかった職員の人に「あっ、昨日テレビに出てた人ね。持ち込みOK!通って。」と簡単にパスしてもらったりして・・・
というのもその番組自体が信じられない高視聴率を誇る番組だったようです。

非日常な旅でした。

日本から同行してくれたレコード会社、担当のニールは日本人気質まんまんで妙に気が合う人でした。
夕食の海鮮料理レストランで「本日これから調理するのがこちらの魚ですがいかがでしょうか?」と立派な魚を差し出したシェフに
「It seems like fish.」と返した感覚に爆笑しましたし(シェフは憤慨だったかも・・・)
その言い回しは、わたしの記憶に刻まれました。(が、いまだ使ったことはない)

ニューヨークレコーディングでは英語が母国語のアメリカ人なのにちょっとした買い物に行く際でも
「一緒に来てくれ。」とわたしに頼ってきたりして、そのへんなんだかアメリカ人離れしてました。

当時ブルーハーツとも一緒に仕事をしていた彼はメンバーから"田中"と呼ばれていたらしいです。

ねっ。

現在は、あの世領域で楽しんでいることと思いますが
「前に会ったことあるよね。」と思わせるこの世でのいい出会いでした。

ねっ。

#03「胎内と私」 coup de pied SHOW at Russian Restaurant 'Volga '

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妊娠5ヶ月くらいでしょうかね。
ファッションデザイナーの林和子さんのブランド'coup de pied 'のショウのワンシーンです。
このショウではじめて
今も、つきあいのある
モデルの朱里ちゃんと出会いました。
若いのに' dip in the pool ’を知っていたので
とても嬉しかったのを覚えているのと、彼女があまりに特殊だったので印象深いです。
どう特殊かと言うと、私が言うのもなんですが、人間離れしていて
ロボットのようでした。
それがデザイナーの林さんからのショウでの注文だったそうなので、
当然なのかもしれません。
しかし、その後に別のショウで会った彼女はあの痩せ方にもかかわらず、すごく色気のある美しい女性になっていたので、とても尊敬。
私も見習いたいと思っています。

さて、ショウでは自分のことは見られないのですが
後でいただいた写真がすごく綺麗で驚きました。
ヘアメイクはサブロオさんです。
私の代表的な顔(パブリック・イメージ)の創作者です。

あまりにお世話になっているので、ふつうの感謝の言葉に置き換えられないです。
どうも!ってことで(はは)

デザイナーの林さんとのチームからは
数々の完成度高い作品が生まれています。
今後も登場していきますので
どうぞお楽しみに。


*この写真に関しては
カメラマンの方が特定できませんでした。

#02 「蛇だ!」 photo Hanabusa Lyu

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この写真はスタジオ・ヴォイス誌連載の高橋源一郎さん文・英隆さん写真のページに登場させていただいた時のものです。
当時、前例としてはナスターシャ・キンスキーと蛇というのがありました。
蛇のお話があった時は特に否定的でもなかったけれど積極的でもなかったような・・・あいまいな記憶。
編集の方からは、たぶん「大丈夫ですか~?」的なお伺いがあったのではないかと思います。

スタジオでの蛇との出会いの印象ですが、ヌメっとしていない、意外に気持ち悪くない、さっぱり。
そして、よく見ると口をテープでふさいでいますが、撮影前にしっかり食べさせて、締めさせておけば(しっかり巻きつかせるという意味)危害は加えないという飼育係のお話であったかと思います。
全然、嫌じゃなかったです。重かっただけです。
意外に顔も綺麗に写っています。今、思うと。
というのも、蛇と一緒だった!という記憶だけが鮮明で表情を忘れていました。

ハナブサさん、この企画ありがとうございます!自慢できます(笑

#01 猿様

発掘

小学生の頃
なりたい職業は?の答えは
よく分からないけど「考古学者」。
遺跡、遺物発掘の図が思い浮かんでいたものです。

実はなりたいものがなくて
授業で作文を書くにあたって
はたと困り
他の女子の多くが「パーマやさん」と書いていたので
なんら興味はなかったけれども
「パーマやさん」と書く、和をみださない精神を持っていた私です。

この仕事歴の長さと、一流の方々との仕事経験から
大上段に構えて始める
はたまた
クールに始めるなどと思っていましたが
なんだかしっくりこないので

発掘ということにしました。

掘り出し物のお話です。
連載ですから
お楽しみに。

Gontiti_Devonian Boys_02.jpg

猿様

GONTITIのアルバム「Devonian Boys」ジャケット撮影の楽屋だそうです。
「なぜ私が?」
そう自分でも思ったくらいにすっかり忘れていましたが
唇モデルをつとめていたのです。
パーツ出演だと、あったこと自体を忘れる思い切りの良さもすさまじいですね。

一緒に写っているお二人は
ADのミックさまとアシの美鶴嬢です。
美鶴嬢はそのルックスの古さと怖さとは
裏腹に優しくて現代っ子(当時の)でした。

この写真のような猿様の私は、私の人生の特徴的な何年かを占めていますね。
軽くて調子がいい感じです。
着ているセーターは、ロメオ・ジリのカシミアのセーターで
何年も何年も着続けた気に入ったセーターでした。
3色持っていまして
デザイン(全体に細長い)と色と着心地がとてもよく
ほんとになくなったのが(着倒し)残念なセーターです。

このあたりから直接肌に触れるセーターはカシミアしか着られなくなりました。(チクチクするという理由)

撮影はおなじみの
Gra chanでした。

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